小松川神社の所在地:東京都江戸川区小松川3丁目1−2
元佐倉道の街道沿いにある小松川神社には庚申塔が2基あります。
小松川神社には、いわゆる神社に祀られるものと、お寺に祀られるものが同居しています。
![小松川神社](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2020/06/IMG_20200602_112304.jpg)
境内に掲載された江戸川区教育委員会の看板によれば、このあたりにあった西光寺(明治7年に廃寺)の境内に稲荷社があり、そこに分霊により小松川神社を創建。更に平成9年に市街化地域再開発で現在地に遷座したと言います。
境内にある地蔵菩薩や庚申塔は、元々は西光寺にあったものだそうです。
これらの石造物は、本殿の裏に纏めて並んでいます。
庚申塔を拝見させていただきます
ここに置かれている石造物は、全て布(前垂れ)が巻かれています。
大切にされているのですが、「庚申塔好き」からすると像容が確認できないもどかしさがあります。
![小松川神社の庚申塔](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2021/04/IMG_20210412_111422.jpg)
2基の庚申塔が並んでいます。巻かれている布は、いわゆる柄物。実にお洒落な庚申塔なのです。
左側の庚申塔
大きな布で覆われているので手の様子が分かりません。
ネットで調べると、小さな布が掛けられていた時代もあったようで、青面金剛が合掌している写真が見つかりました。(しかも、布を捲って撮られたサービスショットも)
![小松川神社の庚申塔](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2021/04/IMG_20210412_111611.jpg)
合掌する青面金剛が邪鬼を踏みつける像容です。邪鬼の下に三猿も描かれていました。
次に、刻まれた文字を確認していきます。前垂れで読めない字が多数...
上部に「●申供養」、右側に「宝永四丁亥年 江」、左側に「正月吉日 朝田」
ネットの情報で補完すると「庚申供養」「宝永四丁亥年 江戸通油町」「正月吉日 朝田庄次郎」
宝永4年(1707年)の庚申塔です。
右側の庚申塔は、「小松川神社所在の青面金剛立像庚申塔」といいます。
こちらの庚申塔は、江戸川区登録有形民俗文化財になっています。
「小松川神社所在の青面金剛立像庚申塔」という名称で登録されています。
像容を確認していきます。
![小松川神社の庚申塔](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2021/04/IMG_20210412_111427.jpg)
青面金剛が描かれていますが、手がどうなっているか確認できません。
胸の辺りに宝剣らしきものが欠損したようになっています。
第1手はショケラと宝剣なのでしょうか、合掌なのでしょうか。
日月と種字が上部に確認できます。
2童子は第2手の横あたりにありました。
四夜叉が描かれているようですが、2体は布に隠れています。
踏みつけられた邪鬼の下に三猿もいました。
文字を確認していきます。
「延亨元甲子」「九月日」
延亨元年(1744年)の庚申塔でした。
延亨元年の庚申塔(右側面)
右側面の文字は
「庚申供養」「施主 八丁堀 和泉屋 三国左江門」「新町中 稲荷山 西光寺」(赤字は推定)
![延亨元年の庚申塔(右側面)](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2021/04/IMG_20210412_111518.jpg)
「江戸川区の文化財 6」(1989年発行)には、この庚申塔は、西小松川村字新町のひとびとが造立と記載されています。
延亨元年の庚申塔(左側面)
左側面の文字は、
「奉御供料錢五貫文..之也」(布に隠れて読めません)
掲示された看板の文面で補完すると「為御供料錢五貫文永代附置之也」
![延亨元年の庚申塔(左側面)](https://fjm-explorer.com/wp-content/uploads/2021/04/IMG_20210412_111542.jpg)
ところで、銭五貫文は、今のお金でいくらくらいなのでしょうか。
ネットで調べてみると、銭五貫文=金1両(小判)と出てきました。
永代供養としては良心的な価格ですね。
小松川神社へのアクセス
都営新宿線 東大島駅から徒歩11分 (850m)