十念寺の所在地:東京都江戸川区北小岩5丁目32
江戸川区北小岩にある十念寺には、庚申塔が4基あります。
庚申塔は、元々、十念寺にあったものではなく、昭和の時代に、こちらに移設されたものです。
2基の庚申塔が道標になっており、江戸川区登録有形文化財です。
十念寺の概要
十念寺(じゅうねんじ)は、真言宗豊山派のお寺さんで、元和7年(1621年)に開山しました。
巌松山 無量寿院と号します。
十念寺がある場所は、旧 中小岩村です。
新編武蔵風土記稿の中小岩村の条には、村内に庚申塚が2か所あることが記載されています。
「ひとつは、堤上。ひとつは、村民の彦左衛門居宅前」
庚申塔がある場所
以前は非公開の庚申塔もあったようですが、現在は、本堂前の広場に4基並び、簡易な屋根で覆われています。
それでは、左側の庚申塔から見ていきます。
青面金剛像が描かれた庚申塔
六臂の青面金剛が合掌し、邪気を踏みつけている姿が描かれています。
青面金剛の上に日月、青面金剛の下には立派なサイズの三猿も描かれていました。
板面には文字も刻まれています。
「奉供養庚申待二世安樂大●●也」
「元禄五壬●天十一月十三日」(赤字は三 or 五)
「中小岩村」「同行●●人」
元禄5年(1692年)の庚申塔と分かりました。
手元の資料では、昭和の初めころに山路邸前より移設されたとあります。
猿田彦大神が描かれた庚申塔
庚申塔としては非常に珍しい、猿田彦大神の像が描かれた庚申塔です。
見たことが無い分、「これが、猿田彦大神」と誰かに教わらなければ、庚申塔と識別できない高難易度です。
左側面に紀年銘が入っています。
「元治元甲子年十一月建之」(元は下部が欠損し「二」のように見えます)
石造物の上部には朱が入っていますが、それによって、日月があることが良く分かります。
日月と猿田彦大神がセットで、庚申塔の証。
元治元年(1864年)の庚申塔です。
手元の資料によれば、昭和40年代に道路の拡幅工事で中小岩小学校脇の庚申堂から移設されたそうです。
青面金剛像のある庚申塔(中小岩の庚申塔市川道石造道標)
六臂の青面金剛が合掌し邪鬼を踏みつけている姿が描かれています。石柱の下部が大きく欠損しています。全体的に様々な欠損が発生していて、コンディションが良くない状態です。
台座部分には、三猿も描かれていました。
右側面が道標になっています
刻まれている文字は
「左り いちかわみち」
左側面を確認します
字が書かれているらしいことは分かりますが、私には判読不能です。
若しかしたら、文字ではなく唯のキズかも...
建立年代不明の庚申塔でした。
手元の資料では、昭和30年代に移設されたもので、新編武蔵風土記稿に記載があった彦左衛門居宅前(松原邸)のものだそうです。
文字塔「庚申塔」(中小岩の庚申塔河原道石造道標)
最後は、妙に綺麗な庚申塔です。まるで機械で削りたてのような...
駒形の石板に「庚申塔」と文字が刻まれています。
台座には「講中」の文字と奉納者の氏名があります。
左側面が道標になっています
「右 両國江 三り」「左 市川江 三丁」「左 松戸江 一り」「右 河原江 一り」
右側面は紀年銘
判読できた文字は「文化十年癸酉九月吉日」
文化10年(1813年)の庚申塔です。
手元の資料では、昭和40年代に道路の拡幅工事で中小岩小学校脇の庚申堂から移設されたものです。
今昔マップ on the Webで確認すると、中小岩小学校脇に堤があったようなので堤上というのも合致するようです。ところが、山路邸前の道(岩槻街道)も昔は堤の上を通る道だったそうだ。
ということで、どちらが新編武蔵風土記稿に書かれた庚申塔か分からないが結論のようです。
十念寺へのアクセス
京成本線 江戸川駅から徒歩9分 (700m)