誠心寺の所在地:東京都江戸川区江戸川3丁目50−23
江戸川区江戸川にある誠心寺は、浄土宗のお寺さんです。
近代的な建物で、少々面を食らいますが、歴史ある寺院で、文明年間(1469-1487年)の創建と伝えられます。
こちらの寺院には、庚申塔が3基、庚申塔のようなものが1基あります。
庚申塔のような石造物も含め、筆者が頼りにする資料の不正確さが顕著なのが「誠心寺」。
「薬王山 慈眼院 誠心寺」が正式な名称のハズなんですが、誰が言い出したのか「証心寺」という表記が拡散。(紙資料の誤記を、コピペしたんだと思いながらも、現地で事実確認をしていきます)
庚申塔がある場所
駐車場の横に歴代住職のお墓があり、その周囲に複数の石造物があります。
ここに石造物が4つ並んでいるのですが、左側3つが庚申塔、右端が「庚申塔のようなもの」。
左端の庚申塔から順に見ていきます。
庚申塔(文字塔) その1
こちらの庚申塔は、綺麗に文字が残っている文字塔で判読し易く助かります。
中央に「庚申供羪経日」。
この文字の左右に刻まれた文字は、どういう意味なのでしょうか。
神力演大光・・・神力、大光を演べて、
普照無際土・・・普く無際の土を照らし、
消除三垢冥・・・三垢の冥を消除して、
廣濟衆厄難・・・広くもろもろの厄難を済わん。
ということで、「大無量寿経」の一部のようです。
石板の両端に、紀年銘も入っているので、確認していきます。
右側「寛文十三癸丑年」、左側「八月廿三日」
石板の下半分は、奉納者名と「敬白」の文字。
寛文13年(1673年)の庚申塔は、江戸川区登録有形文化財です。
庚申塔(文字塔) その2
文字塔が続きます。
石板のコンディションは悪くないのですが、達筆すぎて読めません。
全部で5行に渡って文字がありますが、中央部の文字は、完全に私の能力を超えていて読めません。
でも、大丈夫。庚申塔か判断する材料になる文字は、4行目にあります。
4行目の文字は「今日結衆等庚申二座成就」(赤字は推定。「等」は「寺」にも見えるので微妙)
石板の両端に、紀年銘も入っているので、確認していきます。
右側「●寛文八戊申天」、左側「九月●●日」
寛文8年(1668年)の庚申塔も、江戸川区登録有形文化財になっています。
円柱に青面金剛像が彫られた庚申塔
かなり珍しい笠付の円柱に青面金剛像が描かれた庚申塔です。
変わっているのはそれだけではありません。手に持っているものにも注目しましょう。
第1手は合掌
第2手は右手に宝玉、左手が三叉戟だろうか。一般的なものと左右が逆だ。
第3手は一般的には弓と矢ですが、こちらの青面金剛像は、
右手に宝剣かこん棒、左手に縄だろうか(縄に見えるのは蛇という話もあります)
足元も確認しておきます。
青面金剛に踏みつけられる邪鬼。邪鬼の下には三猿と、この部分は一般的な構図でした。
紀年銘を確認しておきます。
左側面に「元禄十丑天十一月日」
元禄10年(1697年)の庚申塔です。
最後は、少々やっかいな「庚申塔のようなもの」
笠付の角柱。
舐め回すように全方向からチェックしましたが、正面にある文字だけ。
「寛政十二庚申七月三日」 (寛政12年(1800年)7月3日、干支は「庚申」)
普通に考えれば、庚申塔ではなく、正体不明の石造物。
実際、石川博司氏の資料(「江戸川の庚申塔を巡る」「江戸川の庚申塔を歩く」)や、その影響を受けた方のホームページ(「東京都の庚申塔」)では、庚申塔として扱っていません。
ところが、古くは「江戸川区の庚申塔と道標」(1980年江戸川区社会教育課発行)、近年では日本石仏協会主催の石仏見学会の資料中で、この石造物を庚申塔と紹介しているのだ。
社会教育課の資料は、やや怪しいところがありますが、後者の筆者は信用できる方。何か特別な理由がありそうです。
私の中では、年号しか書かれていない石柱の存在は不思議でしかないです。
今の姿しか知らない人たちは唯の石造物と判断し、昔を知る人は庚申塔と判断する。そんな、存在なのかもしれません。
私は、この石造物に関する正解は持ち合わせていません。
この記事を読まれた方が、現物を見ながら、答えを想像して頂ければ幸いです。
「証心寺」の答え
「誠心寺」と書いて「じょうしんじ」と読みます。
江戸時代に発行された新編武蔵風土記稿でも「証心寺」とは書いていません。境内の石造物にも、そのような表記はありません。つまり、パソコンの誤変換?まさかの「しょうしんじ」って打った?
私のコンテンツにも誤変換、誤認があると思いますが、それにしても...(以下自粛)
誠心寺へのアクセス
都営新宿線 一之江駅から徒歩9分 (700m)