下鎌田地蔵堂の所在地:東京都江戸川区東瑞江2丁目39−3
東瑞江にある「下鎌田地蔵堂」には、庚申塔が4基あります。
「下鎌田地蔵堂」の隣は交番。いつもなら、車が来ていないのを見計らって車道に出てシャッターを切ったり、やり放題するのですが、今回は自粛。

地蔵堂の中には、庚申塔1基と地蔵菩薩像が1基、如意輪観音が1基、納められています。
地蔵堂の前には、青面金剛像の庚申塔が3基並んでいます。
まずは、地蔵堂前に並んだ庚申塔を、右から順に見ていきます。
青面金剛像の庚申塔(その1)
六臂の青面金剛がショケラをぶる下げています。宝剣は欠損したのか、最初から無いのか...
びっくりなのは、小さな羽のようなものが背中から生えています。(よく見ると衣装の一部でしたが)
青面金剛は、邪鬼の背中と頭を踏みつけています。

三猿は台座側に描かれていました。
右側面に文字が刻まれ「文化元甲子七月朔日」「石工 明石幸助」
庚申塔で、石工の名が刻まれているのは、かなり珍しいと思います。
左側面に文字はありませんが、広範囲に亀裂が入っていて、剥離が起きそうな感じです。
文化元年(1804年)の庚申塔でした。
青面金剛像の庚申塔(その2)
六臂の青面金剛がショケラと宝剣を持ち、邪鬼を踏みつけています。
邪鬼の横には二鶏、下には三猿の構図です。

側面の文字を確認します。
右側面は「奉納青面金剛童子」「庚申 講中」
左側面は「延亨五戊辰歳二月六日」
延亨5年(1748年)の庚申塔です。
青面金剛像の庚申塔(その3)
六臂の青面金剛がショケラと宝剣を持ち、2体の邪鬼を踏みつけています。
青面金剛の両脇には童子がいます。
三猿は、台石に描かれていました。

側面の文字を確認します。
右側面「天保十己亥年」
左側面「正月吉祥日」
天保10年(1839年)の庚申塔でした。
地蔵堂の中の「観音庚申塔」
地蔵堂は鍵が掛かっていて入れません。
いつものように、格子の隙間からスマートフォンで撮影しておきます。
近付けないので、像容や文字の確認が出来ません。こんな時は、資料に頼ることにします。

34体の観音が7段に並び、最上段には観音立像が4体、2段以下には坐像と立像とが交互に5体ずつ6段にわたって刻まれています。
最下部には中央に三猿、両側に脇侍の童子が2人向きあって刻まれています。
文字は側面にあるのですが、写真からは分かりません。
右側面「秩父卅四ヶ所念仏講三十五人建立之」
左側面「亨保五庚子年十月六日」
旧下鎌田村には、宿、宮下、西、内手の4つの字があり、字ごとに念仏講が組織されていました。
下鎌田地蔵堂は、下鎌田村の宿地区の6軒よって構成される念仏講で利用されてきましたが、現在では宮下地区の6軒も加わった12軒で行われているとのこと。
「下鎌田宿の念仏講」が江戸川区無形民俗文化財・風俗習慣、「観音庚申塔」が江戸川区登録有形文化財・歴史資料となっています。
下鎌田地蔵堂へのアクセス
都営新宿線 瑞江駅から徒歩13分 (1.0km)