庚申塔の所在地:東京都江戸川区平井6丁目51 安養寺飛び墓地
平井にある安養寺の飛び墓地には、江戸川区登録有形文化財になっている庚申塔「石造地蔵菩薩立像庚申供養塔」があります。
なぜ、この場所に安養寺の飛び地(墓地)があるのでしょうか。
今昔マップon the Webで古い地図を見ると、1917~1924年ころ、この場所に「卍」マークが確認できます。筆者は、念仏講が行われるような何らかの施設があったのではと推測しています。
ここには、庚申塔に向かい合うように「石造地蔵菩薩立像念仏供養塔」もあります。
庚申塔を観察する
墓地入り口を入って直ぐ左のお堂に複数の石仏があります。
一番大きい中央にある地蔵菩薩が、庚申塔です。
文字は摩滅して、判読しずらくなっています。
地蔵菩薩の右側に書かれた文字は、比較的大きいので判読が出来ます。
「奉地蔵菩薩開眼供養●●」(●●は江戸川区の資料によれば「結衆」)
問題は、地蔵菩薩像の左側に刻まれた文字です。撮影した写真を加工して、やっと一部の文字が判読できる感じでしょうか。ここからは、江戸川区の資料とネットでの情報から判読不能部分を補って記載していきます。
「寛文七丁未天八月朔日」(赤字は判読できないため、ネットの情報を転記)
「逆修菩提」「為庚申人数十人」
(江戸川区の資料では、「為」の字は「逆修菩提」の上にあるとなっていますが、そこに文字は確認できず、「庚申人数十人」の上に判読不能な1文字が確認できます。)
「為庚申」で庚申塔と判別するタイプのものですが、肝心の部分が読み取れないので、モヤっと感がある庚申塔です。寛文7年(1667年)と、古い年代の庚申塔でした。
江戸川区のホームページによると、石造地蔵菩薩立像庚申供養塔は、向かい合う石造地蔵菩薩立像念仏供養塔と同時に奉納され、以前から、この場所にあったそうです。
新編武蔵風土記稿によれば、旧 中平井村には、安養寺の他、観音寺、西善院、円寿院がありましたが、住職が定まらず衰退、安養寺が預かっていたといいます。
この3寺のいずれかが、この場所にあったのかもしれません。
安養寺飛び墓地へのアクセス
JR総武線 平井駅から徒歩8分 (600m)